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染付  Ⅰ 
染付とは、白磁の素地にコバルトを含んだ顔料を用いて、筆彩で文様をあらわす技法をいいます。
透明の釉薬をかけて焼成すると、鮮やかな藍色に発色します。
染付の技術は中国江西(こうせい)省の景徳鎮(けいとくちんがま)に於いて
元時代(1271~1368)に完成されました。宋時代(960~1279)の陶磁器では、
端整な器形の美しさ、そして滋味深い彩色のうつくしさが追及されました。

明時代(1368~1644)以降は磁器の装飾技法の主流になりました。
染付の技法はやがてベトナムや朝鮮、日本に伝わり、
アジア各地ではそれぞれに豊かな染付が焼かれました。
宮中の御用品を焼く官窯が景徳鎮に置かれた。
宣徳年間(1426~1435)、「大明宣徳年製」の款識(かんし)をいれることが一般化しました。
精妙て潤いのある純白の白磁がかんせいされた。
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【2009/07/18 13:37】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
和の暮らし(六月)  Ⅱ
夏越(なごし)の祓えと茅(ち)の輪潜り(わくぐり) 
梅雨の時期、人々は疫病などに悩み苦しみました。
夏が無事過ごせるか厄除け対策をたてた。その一つが夏越祓えでありましょう。
六月晦日(みそか)30日の恒例行事で、その起源は飛鳥時代にさかのぼる。
「備後国風土記」によると、中国の新羅(しらぎ)の神、牛頭天王(ごずてんのう)が
南海に旅をした際、ある兄弟の家に一夜の宿を求めた。
裕福な弟は断り、兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は貧しかったけど、
快く泊め、精一杯もてなした。
牛頭天王はこれに感謝して、蘇民将来に、疫病が流行ったら 
「茅の輪を腰につけておけば免れる」と教えた。
はたして、疫病が流行ったとき弟の一族は滅び、蘇民の一族は難を逃れた。
「蘇民将来之子孫也」と書いた札を下げた茅(ち)の輪を身に着け、
あるいは家に掲げて疫病から免れるよう祈った。
牛頭天王は日本ではスサノオノミコトのことです。
京都祇園の八坂神社の楼門で境内の拝殿前には、
茅(ちがや)を幅24センチほどに束ね、直径7~8メートル位の大きな輪をつくり、
それを八の字形に潜り抜けて無病息災を祈ります。
【2009/07/06 09:27】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
和の暮らし(六月)
和の暮らし(六月)  Ⅰ

水無月(みなづき)は六月の和月ですが、必ずて言ってもよいほど食べるお菓子があり
その名が「水無月」という名の菓子です。
三角形の形をしていて、外郎(ういろう)の台に邪気を祓う小豆を散らしたものです。
【2009/06/26 19:55】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
和の暮らし(六月) 氷 Ⅱ
氷餅
信州諏訪地方でのみ作られる、重湯のようにした餅米を氷点下になる
諏訪地方の寒冷な外気の中凍結、乾燥させたもので、江戸時代に
諏訪藩の高島城内における保存食、戦いにおける携帯食としてつくられたものが
庶民にその製法が伝授されひろまりました。
菓子として、利用ものに三条若狭屋に「祇園ちご餅」は
表面にきらきら光る氷餅がまぶしてあります。
富山の銘菓「薄氷」、名古屋の亀末広の「うすらい」は
冬季に味わう黒砂糖の菓子で、池に氷がはりかけた微妙な瞬間を表現したものなどです。
【2009/06/19 08:37】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
和の暮らし(六月) 氷 Ⅰ
六月は一年の折り返し点です。6月1日を「六月正月」、
「氷の朔日(ついたち)」「氷室の節(せちえ)」ともいった。
1300年後、平城宮の東南に位置する所に大邸宅が発掘され、
数万点の木簡が発掘された、右大臣長屋王の邸宅とわかった。
その木簡の中に7月7日から8月20日までの間に、
15回以上氷が運ばれていることを、墨書されている伝票が出てきている。
氷を使って、暑い時に水酒に浸して飲んでいた。
冷酒のおいしさを奈良時代の貴族は知っていたのです。
奈良市内、奈良公園の奈良国立博物館の北に、
氷室神社、京都の鷹峯の北方にも氷室神社があります。
【2009/06/17 14:09】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
有職御木具師(ゆうそくおんきぐし)
木具師の扱う茶道具は、広範囲です。
茶器、香合、水指、蓋置、建水、煙草盆、食籠、縁高、干菓子器、
花台、炭台、など作られます。

京都上京区小川通に「橋村 萬象(ばんしょう)」さんの工房が有ります。
橋村家は古くから「有職御木具師」として、
天皇家や公家の生活必需品木製品全般を作る家柄でした。
桓武天皇による奈良より遷都の時、京都に移ったといわれる。
代々「又左衛門」を名乗っていましたが、大徳寺管長より「萬象」の名を拝命
以来「橋村萬象」を名乗ると共に茶道具を専門に手がけるようになり、
今三代目を昨年二月に襲名した。

 4つの技法と3種類の木
1、湯曲げ
 薄い板に熱湯をかけ、熱いうちに曲げていく技法だが、
 熱によって曲げるというよりも、それ以前の工程で丸く曲がるように
 木を削っていくところに要点がある。茶器、香合など
2、引曲げ
 角になる部分をのこぎりでひいて曲げる。八寸、折敷(おしき)、縁高、花台など
3、折だめ
 板の全体、一定間隔に鋸を使って引き目をいれる。
 引き目が深ければ木は切れるし、浅ければ折れるし
 同じ力加減を保ちながら注意深く曲げて曲線をつくる。棗、食籠など
4、角切だめ
 二か所を小刀でV字型に切り込むことによって、九十度になるようにためて曲げる。
 茶器、利休形の炭台

何れも髪の毛一本あるかどうかという、微妙な厚みを残して木を引き又、
切り込みをいれる極めて高度な技術である。


【2009/05/28 06:57】 | お抹茶の今昔 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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